単なる欲求と使命感とは違う。
自分の欲求を満たすだけの行動は満たされた瞬間に自分を見失います。(経験談)
使命感のある行動は常に冷静であり、謙虚でいられる。(のではないかと思っています)
欲求の源泉、欲求からくる行動。
どんな人でも多少なり劣等感は持っていると思っています。私にも劣等感、コンプレックスというものはあります。ただ、日々の中でそれを冷静に見つめるタイミングや、環境を持つことは中々出来ないものです。劣等感やコンプレックスが原因となり、それを満たす為の行動や意思決定をしてしまうと結果的に心の満足は得れないことが多いです。私の場合、小さいときからの学業、成績等を始めとして、認められることが少ないというコンプレックス、何事も比較され劣っているという劣等感から、自分が認められたいという承認欲求が強く育ったように認識しています。ですから人前や組織の上に立って認められると気分が良くなり、有頂天になり、自分を見失うことが多かったように思います。1人でビジネスをするようになり、自分の心の中にある劣等感と承認欲求の関係を俯瞰して見つめることが出来たこと、使命感の存在に気づいたことは、大きな成果だと思っています。今では1人の時間を持つことの重要性を確信しています。
使命感が生まれる、使命感が育つ。
使命感を持って生きてます、と言うにはまだまだほど遠いですが、使命感からくる行動と欲求からくる行動の違いを少しだけ理解できてきたように感じています。仕事をしていると食べていくために、生きていくために、アレをやるべき、コレをやるべき、とやらなくてはいけないことで時間が埋まってしまいます。それをやらないことを決め、やりたいと思う事から行動に移すことで、自分の心の中にある「本当にやりたいこと」が光り出します。最初は小さな点のように感じますし、浮かんでは消え、浮かんでは消えという感覚です。それでもその存在を見つめる時間を持ち、大事にしておくことで少しづつその点の中で大きくなってくるモノがあると思います。急がなくても時間をかけて育ってきたものがホンモノの使命感なのかなと思っています。こんな遠回りをしなくても、早くから使命感に気づき、行動に繋がっている方たちも多いのでしょうが、私はこんなペースであるという自分を受け入れています。
使命感から来る行動に焦りはない。
上手く表現できませんが、やりたいと思うことの中でも焦って取り組んでしまうことと、冷静に取り組めることがあることに気づきました。衝動買いなんかはその良い例かもしれません。「欲しーい」という単なる欲求だけで行動しており、「何の為に」を冷静に見つめ、考える時間が抜け落ちていますから。コンプレックスの中でも認められたいという承認欲求はやっかい者です。私などは、日常生活を活動的にすればするほど承認欲求からくる行動に行きがちですので、活動的な日常と同じ質量で冷静な自分を作り上げる時間が必要です。そうすることで、欲求は大きいけれども焦りは感じない。こういう感情に耳を傾けると使命感が見えてくるように思います。
まとめ
ビジネスの意思決定には短期、中期、長期的な視座、視点が必要ですが、自らの使命感に気づき、使命感に沿った意思決定をしていきたいものです。
【あとがき】
今日は次女のJCDA全国予選。夏の大会で悔しい思いをしたので、その分成長したところを2分30秒に出し切って欲しいと願っています。